バリ島でインタビュー! "グンデル・ワヤンの継承"

バリ島のガムラン音楽のひとつ「グンデル・ワヤン」(gender wayang)は、数多くあるガムラン音楽の中でも最も小さい編成(最少人数2人~)のガムランで、バリ島では影絵芝居「ワヤン」の音楽として、また、人生の節目の儀式(成人式、お葬式など)の音楽として、バリ人の生活に大変深く根ざしている音楽です。

PKB2016 優勝グループ (facebookより)
PKB2016 優勝グループ (facebookより)
近年バリ島では、子どもの習い事としてその人気が高まっており、各地で頻繁にコンテストが開催されています。子どもたちは綺麗にお化粧をしてもらい、美しい伝統衣装に身を包んだハレの姿で、日頃の練習の成果を舞台の上で発揮します。それはもう、大人顔負けの堂々としたパフォーマンスです。
今回、ガムラン演奏家、作曲家であり、グンデル ・ワヤンの指導者としても近年目覚ましい活躍をみせているブダ氏(I Ketut Buda Astra・47歳・ギャニャール県スカワティ村出身)が飯田(JIBECA代表)のインタビューに応えてくれました。(インタビュー:2016/7/1 スカワティ村ババカンにて)
子どもたち150人による演奏(facebookより)
子どもたち150人による演奏(facebookより)

ブダ氏は、バリ島で毎年6月中旬から約1ヶ月の間 開催されるアートフェスティバル(通称PKB)の「子どもグンデル・ワヤン コンテスト」(2013~)で、指導したグループすべて(2013,15,16年度の3回)を優勝に導きました。そして今年4月のバリ州ギャニャール県の成立記念日の催しでは、総勢150人の子どもたちを率いてグンデル ワヤン演奏の舞台を成功させました。

村の祭りでお披露目 (PKB2013 優勝グループ)
村の祭りでお披露目 (PKB2013 優勝グループ)

名実ともにグンデル ワヤン指導者の第一人者であるといえるブダ氏。子どもたちにグンデルを教えるようになった経緯、教え方のコツなど、超多忙な合間に時間をとっていただき、インタビューに応えてもらいました。


飯田:コンテストで1位入賞、おめでとうございます。どんなお気持ちですか。
ブダ:ありがとうございます。今年は正直大変でした。去年のグループは、皆スカワティ村出身の地元の子どもたちで、代表に選ばれた時点ですでに演奏のテクニックはほぼ習得していて、課題曲3曲のうち2曲はもう弾けていました。残り1つの新曲(Ombak Atarum 「混ざり合う波」という意のブダ氏の新曲)を頑張ればいいだけでした。
しかし今年のグループは、選ばれた時点では演奏テクニックは50%ほど、課題曲は4曲もあり、すべてがゼロからのスタートでした。
飯田:どれくらい練習しましたか?
ブダ:4月の末から練習をスタートしました。始めは(自分の時間がとれなかったので)週に2回を基本としました。
本番は6月中旬なので、私たちには2カ月ほどしか練習する期間がありませんでした。5月末からは、毎日練習しました。私は毎回の練習で、たくさん叱りました。そうしないと、子どもたちは気を抜いて本気にならないからです。私たちにはたった2カ月しかなかったので、厳しく教えなくてはなりませんでした。
優勝した子どもたちとブダ氏(写真提供:ブダ氏)
優勝した子どもたちとブダ氏(写真提供:ブダ氏)

コンテスト本番の子どもたちの演奏には、私は本当に満足しました。子どもたちは、私が教えたすべてをそこで体現してくれました。その時できる最大限の力を発揮してくれました。演奏直後に子どもたちにかけた言葉は、「結果は何であれ、自分は大変満足している。君たちを大変誇りに思う」そう話しました。結果としては1位となりましたが、私は結果に関わらず、子どもたちの演奏には本当に心から満足し、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。子どもたちは自分に対して「ありがとう」と思っていると思いますが、私の方からも「ありがとう」と強く思っています。

飯田:(涙)感動しています。
子どもたちにグンデル ワヤンを教えるようになった経緯を教えてください。
ブダ:このことは、前から考えていました。たぶん、4年くらい前からでしょうか。私はグンデル・ワヤンをしっかりと次の世代へ継承しなくてはならないということに責任を感じるようになりました。私のようにグンデルを愛し、子どもたちに情熱を持って教えることが出来る人は、私の他にはいないと思っています。スカワティ村はグンデル・ワヤン弾きが昔から多くいました。私の父も祖父も曽祖父も… 私の代で終わってしまったら、先祖に怒られます。(笑)

飯田:(ため息)長年スカワティ村の人々に関わってきましたが、このような話しを他で聞いたことはありません。本当に素晴らしいことですね。
練習風景(PKB2015 優勝グループ)
練習風景(PKB2015 優勝グループ)
ブダ:私はグンデル・ワヤンには大きな「借り」があります。というのは、私は幼い頃に父を亡くし、母も仕事がなく、自分でお金を稼いで生きていかなくてはなりませんでした。小学校5年生の時には、すでにワヤン一座の一員として演奏に参加し、そこで得たお金を学費に遣い、生活をしてきました。中学、高校もグンデル・ワヤンで稼いだお金で通い、グンデル・ワヤンで奨学金をもらって芸術大学を卒業することもできました。私はまさにグンデル・ワヤンによって生かされてきたのです。私はそのことを忘れず、グンデル・ワヤンを継承していく責任があります。
飯田:たくさんの子どもたちがこのようにグンデル・ワヤンを習うようになったのは、どうしてですか?
というのも、私が留学していた30年前は、グンデル・ワヤンを演奏出来る人は稀で、ましてや子どもたちが演奏することはありませんでした。
ブダ:私の考えですが、まず1つにはPKBのコンテストの影響があると思います。2013年から、子どものグンデル・ワヤン コンテストが始まりました。(ブダ氏自身の娘も参加し優勝) 州都のデンパサール市から、子どもたちがグンデル・ワヤンを学ぶ流れが始まりました。今でもデンパサール市は大変教育に力を入れていて、市のサポートがとても厚いです。無料のレッスンがあちこちで開催されていて、そのおかげでたくさんの演奏者が育っています。

そのほかの要因としては、親の考え方によるものだと思います。最近の子どもたちは、学校が終われば塾やコンピューターの習い事など、大変忙しくしています。親は、子どもたちにバランス良く成長して欲しいと思っています。勉強ばかりではメンタルが偏ってしまいます。芸術分野に触れさせバランスをとりたいと思い、グンデル・ワヤンを習わせるようになったのではないかと思います。
現在、毎週土日はレベル別にクラスを設け、朝から夕方まで指導にあたっている(facebookより)
現在、毎週土日はレベル別にクラスを設け、朝から夕方まで指導にあたっている(facebookより)
子どもたちに教えるのは、習う方も教える方も大変忍耐がいります。私は子どもたちにただグンデル・ワヤンを弾けるようになって欲しくはありません。やるからには「上手に」弾けるようになって欲しいのです。
だからプロセスはとても長いです。パングル(バチ)の持ち方、叩き方、音の止め方…基礎段階でで学ぶことはたくさんあります。私は、習い始めた子どもたちの親に「子どもがすぐに上手くなることを求めてはいけない」と話します。そうでないと、「どうしてウチの子はなかなか弾けるようにならないのだ?」と言われてしまいますから。(笑)
ワヤン・ラーマーヤナの練習風景。「子どもたちに常に目標を与え、さらにその力を伸ばしてあげたい」とブダ氏
ワヤン・ラーマーヤナの練習風景。「子どもたちに常に目標を与え、さらにその力を伸ばしてあげたい」とブダ氏
飯田:ブダさんから見て、子どもたちは楽しく学んでいますか?
ブダ:たぶん最初は楽しくないと思います。(笑) なぜなら親に無理やり連れてこられてますから。でも練習を始めて、学ぶプロセスを知ってからは楽しそうにしています。

私は教える際、彼らを惹きつけられるよう努めています。始めたばかりの子が、難しくて出来ず、ストレスになることは一般的によくありますが、それはとても危険なことです。プロセスがどんなに長くなっても、私は習い始めた子どもたちがどうやったらグンデル・ワヤンを楽しいと思ってくれるか、考えて教えています。
本番での生き生きとした子どもたちの様子から、演奏することが楽しくてしょうがないのが伝わる(ワヤン公演PKB2015)
本番での生き生きとした子どもたちの様子から、演奏することが楽しくてしょうがないのが伝わる(ワヤン公演PKB2015)
飯田:子どもたちが楽しく学ぶキーポイントは何ですか?
ブダ:最初は曲を教えないことですね。私は、簡単にすぐ出来るメロディを作って教えます。初め子どもたちは、「グンデル・ワヤンは難しい」という先入観を持っているのですが、簡単なメロディを教えると「自分は出来る」と思うのです。最初に「なんだ、グンデル・ワヤンは簡単だ!」と思わせることがコツです。
もちろんグンデル・ワヤンはバリ島のガムランの中で最も難しい楽器のひとつです。その後は難しいことがたくさん待っています。(笑) しかし最初に簡単なところから入り、テクニックを習得したら、難しいものもそんなに難しいと感じなくなります。基礎を習得していない状態で曲を教えると、子どもたちは難しくて飽きてしまうでしょう。 
飯田:どうやって、その指導方法を学びましたか?
ブダ:実はたくさんの外国の生徒に教えた経験からです。彼らにグンデル・ワヤンを教え、そして自分も教え方を学びました。彼らがどうやったら出来るようになるか、常に考えながら教えてきました。そのことにはとても感謝しています。

飯田:お話しされていることは(自分も教えているので)とてもよくわかります。
いつ頃から外国人に教え始めたのですか?
ブダ:何年くらい前かな…。たぶん1996年くらいかな…。教えた生徒はたくさんいます。日本からもたくさん来ましたし、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ドイツ…様々な国の方々がグンデル・ワヤンを習いに来てくれました。

ここで、次の約束の生徒さんがやってきたため、インタビューは中断となりました。

芸能人が分刻みでインタビューに応えてくれる、そんな状況を思わせるような多忙なブダ氏でした。

続きはまたの機会にお話を伺いたいと思います。

ブダ氏が不在の際は、先輩の子どもたちが教える微笑ましい光景
ブダ氏が不在の際は、先輩の子どもたちが教える微笑ましい光景
ブダ氏の兄、ジュアンダ氏(写真:左)はダラン(人形遣い)として後進の指導にあたっている。兄弟でバリの芸能の継承に熱い
ブダ氏の兄、ジュアンダ氏(写真:左)はダラン(人形遣い)として後進の指導にあたっている。兄弟でバリの芸能の継承に熱い

インタビューを抜粋してリポートしました。

ブダ氏は、超多忙にも関わらずとてもにこやかに、時には冗談を交えながら応えてくれました。

どんなに忙しくても、グンデル・ワヤンを練習したいと子どもがやってきたら、つい対応してしまうそうです。芸術家の魂が黙ってはいられないとか…。

お身体にはくれぐれも気をつけていただきたいものですが、スカワティ村のグンデル・ワヤンは安泰といったところでしょうか。

ブダ氏のグンデル・ワヤン指導法に、私たち外国人生徒の存在が関係していたとは、なかなか興味深いお話しです。図らずもスカワティ村のグンデル・ワヤンの発展、バリ島の文化継承に貢献していたとは、不思議なものですね。
(オマケの話、今年のPKB優勝メンバーの1人(最年少女子アユ・ミカ〈マス村〉)がグンデル・ワヤンを始めたのは、我々JIBECAメンバーからの影響というから、感慨深いです)
インタビュー後にブダ氏と
インタビュー後にブダ氏と
さて、今回インタビュー第1号として、私たち"パンダワ・ピトゥ"(影絵芝居グループ)の音楽監督としても指導いただいた、バリ島スカワティ村のグンデル・ワヤンの第一人者のひとり、ブダ氏にお話しを伺いました。
今後も幅広い分野で、いろんな人にお話しを伺っていきたいと思います!
どうぞお楽しみにしていてください。